九月の四分の一 著者名:大崎善生(著)
出版社:新潮社
出版年:2006.02
ISBN :9784101265711
以前取り上げた『ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶』という短編集の中に、
「キャトルセプタンブル」という短編があった。
女性の視点から書かれていたその作品の対をなすのが、
表題作「九月の四分の一」。
この題は、主人公の男性が〈キャトルセプタンブル〉を、
〈クオーターセプテンバー〉つまり〈九月の四分の一〉と誤解したところからきている。
ほんとうの意味は、〈九月四日〉。パリにはそんな名前の駅があるらしい。
〈新宿〉とか〈荻窪〉とかよりは、いい。
あと〈九月の四分の一〉という響きも。
そんな風に、時間や季節や思いを切り取れたならいいな、なんて思う。
二人は偶然、ブリュッセルの広場、グランプラスで出会った。
そして六日間、時間を共にした。六日間、のみである。
そして「九月四日で会いましょう」と残して彼女は姿を消した。
彼女は九月四日という日付とパリにある〈九月四日駅〉をかけていたから、
「九月四日≪で≫会いましょう」といったのだが、
男は気づかぬまま、九月四日にグランプラスで待っていた。
この素敵な誤解がすべてであって、二人は二度と会えない。
男は、六日間を振りかえって、「実存主義的な恋」といっている。
そこには目的も用途も、もちろん設計図もなかった。
ただ、気がついたときには恋心だけがポンと存在していた。(pp.213-214)
「実存主義」という言葉を正確に使用しているかどうかわからないが、
六日間の淡い恋は、崩れ、失われたビルに似ている。
「二度と戻ってくることはない。ただ、残像が残っているだけである。(p.231)」
設計者が当初企図していたような機能ではない、想定外の美しさ。
ビルが壊された後にも、感じることのできる、感慨。
このような消えることのない余韻の中で、二人は生き続けることになる。
切なくて、哀しい話であるが、それは心がどんよりと曇るわけでもなく、
心に強烈な痛みが走るわけでもなく、あくまで静かに穏やかに、
まるで「深い湖の底にいるような静けさ(p.233)」。
道具立てがとても好きなものばかりだったので、とても響きました。
結局は、前回と結論は一緒。こんな素敵な思いにはなかなかなれないでしょうね。
ただ脳内か心の内か知らないけど、そんな安らげる場所がほしいものです。
ちっぽけでも淡くてもいいから。
静かに、素敵な記憶の残響を聞いてみたい、なんて思ったりする。
