乳房 著者名:伊集院静(著)
出版社:文藝春秋
出版年:2007.09
ISBN :9784167546120
しつこいけれど、また伊集院静、という作家は初めて。
どれだけ現代作家を避けていたのかわかる。
また、最近は軽いものに流れているのもわかる。
しかし良いものは良い。古典だろうが、現代だろうが関係ない。
本作も、個人的にはとても楽しめた。良い作品だ。
どうしてだろう。
吉行淳之介もそうだけど「無頼」に憧れてしまっているんだろうか、とか思う。
しかし、いわゆる文学史的な意味合いでの「無頼派」というわけでもない。
〔坂口安吾とか太宰とかは結構好んでいるけども〕
広辞苑的な「無頼」なのだろうか。
つまり頼るべきところのないこと、やら無法な行いをするものやらのことである。
〔手元の広辞苑は第五版のもの〕
本書は五篇からなる短編集なのだが、
その中のひとつ「クレープ」はいい。
別れた女との間にできた子供との、久方振りの再会。
「――ここはクレープは美味しいんだよ。そんなことを娘に行ってみたい気がした。(p.179)」
そんな心持で再会するが、同棲している女性のことを聞かれ、
赤面したり、娘自身に娘の誕生日を聞かれ、答えられなくて恐縮する男。
なんともいたたまれない気分になる。
その後、娘が不意に言った言葉
「パパ」
そんな一言で、高揚を隠しきれずに、野球観戦で熱狂する。
なんだかなぁ。
女性から見たら「こんな男は最低」の一言で一蹴されてしまいそうなんだけど、
ぼくは共感してしまう。鈍感で、不器用なんだけど、しかも女たらしなんだけど、
そんな気持ちになる時もあるんです。
相当入れ込んでるなぁ。
けれどもやっぱり「乳房」が一番いいです。
ぼくは、彼のことを夏目雅子の夫、キンキキッズの剛(結構剛好き)との共著とか
くらいでしか知らなかったんだけど、
その夏目雅子との話であろう、と考えられる、悲しくもどんよりしてなくて
透明感ある作品。
(小池真理子は「静謐と抑制」と題して作品を解説している。結構いい解説です。)
主人公の憲一を「私のキリストであるのだ(p.59)」と想って、ついてきてくれた里子。
しかし里子は「悪い籤」をひいてしまったように病魔に襲われ、入院生活を送っている。
「遊びに行っていいよ」と言ってくれる、里子。
馬鹿だから、本当に女を買いに行く憲一。
ホテルにやってきた女は、大きな乳房をもった、病魔など寄せ付けないような健康的な体だ。
彼は、ふと思う。
私は里子があわれに思えた。悪い籤を引かされた妻とこんな自分が情けなかった。肉体のかたちなどどうでもいのだ。トランプの総とっかえのように里子の肉体とこの女の肉体を変えることはできないのか。(p.77)
その後、
小さくなった乳房を気にしている彼女のやせ細った首筋を見て、憲一は涙する。
あんまり作中で泣いたりするシーンは書くべきでないと思ったりするんだけど、
単純に、純粋に、素直に、感動してしまった。
くやしいけれど、こういう情けない男を見ると肩入れしてしまいがちだな。
