東京奇譚集 著者名:村上春樹(著)
出版社:新潮社
出版年:2007.11
ISBN :9784101001562
村上春樹は、ノーベル賞の受賞もささやかれるほど実力もあって、しかも人気があって(大江健三郎は今人気ないもんなぁ)、読書しない人間も含めて誰もが知っている超有名、売れっ子作家である。100年くらいたったら、紙幣に印刷されてしまうかもしれない。
僕も例外ではなく、大体の著作を読んできた。もちろん全部ではないけど、長編、中編、短編、翻訳、エッセイ、評論まぁまぁ読んだと思う。好きか?と問われれば、好きだろう、と答えるだろうし、これからも読むか考えたなら、読み続けることも明白である。
しかしながら、村上春樹についてあまり語れない。よくわからない、というのが本当のところかもしれないが、話したいとも思わないし、評論は読んだりするけれども、解釈して紐解いていこうなどとは思わない。
たぶん、彼の世界をそのまま味わっていたいだけなのかもしれない。ハルキ大好きだ!俺はハルキストだ!なんて熱い気持ちはないのだが、ゆっくり、じっくりささやかな楽しみとでもしておきたいのである。例えるなら、家の近くにある公園をみて、四季の移り変わりを楽しむような感じ。
だから正直なところ、なにか後ろめたさをもって、感想を書かなくてはならないし、書いたとしても本当は細かいことなどどうでもいのである。
これこそ、どうでもいい前書きだったが、本作は、久しぶりの村上作品で、雑誌に載せられたもの四篇と書き下ろし一篇をまとめた短編集である。
大きいところから始めると、村上春樹は『ねじまき…』以来、方向性が少し変わった、と言われていて、それ以後の作品についての評価は、大まかに見て二分しているのだと思う(もともと彼の作品が思わせぶりなだけで、意味がないし、つまらないという人も少なからず存在しているのはなんとなく知っている)。初期の軽妙洒脱な作品群を愛し、その変貌を受け入れられない人たちと、変わったけれど「ハルキ節は健在だ」という人たちの二つ。
初期の作品に目を通した僕も、馬鹿野郎なりに、理解できる評である。やはり『神の子は…』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』などは、これまでの作品から見れば、ちょっと異質なものであることはだれの目にも明らかだ。
僕のような馬鹿には、偉大な村上春樹自身における内面の変化は計りがたいものがあるので、これらを自分に説明しようとするときに、「時代の要請」というわけのわからないファクターを使う。
(かなり暴論だが)初期の作品のように真摯に向き合い、自分の言葉で語ることが、「リアルさ」を保てなくなるような言語空間ができて、彼は三人称やら関西弁やらカメラアイなどを持ち出したのではないか、などと感じてしまう。それは、現代において、逆にライトノベル的、アニメ的な非現実のキャラクターや言葉が「リアルさ」をもってきたことの裏返しで、『世界の中心で…』やら『いま、会いにゆきます』のような話が、馬鹿馬鹿しくなる感覚に似ている(といってもその馬鹿馬鹿しさがヒットの理由でもあるのだろうが)。
例えば、「日々移動する賢蔵のかたちをした石」という作品の中、会話文の後に、「(笑い)」という言葉を使われていたことは衝撃だった(もちろん、「偶然の旅人」の書き出しも驚きました)。こうした表現も含め、お洒落に気取る事は時代にそぐわず、卑近な、しかし日常的なもの(「笑い」、「デニーズ」等)が必要になるのは、「リアルさ」の要請なのではないか、と思ったりしたのです。だから僕は、初期の作品は初期で、しかし今の作品は今の作品で、面白く読めています。
〔関係ありませんが、僕は宮崎駿の『ハウルの動く城』もそのように解釈しております。もちろん肯定的に。〕
春樹好きの人が読んだら、「馬鹿じゃないか」と思われることも解っておりますが、そこんとこは「門外漢の独り言」なのだなぁとご宥恕くださいませ。
話があまりにずれたので、具体的に本作についてコメントすると、客観的に、村上作品の中では、あまり良質とは言えないのではないか、と思っています。しかしそれは村上さんに対する勝手な期待の大きさからくるもので、他の作家として考えたのであれば、傑作といえるほどのものであると思います。あまり彼の作品を読まない人にとっては、ハルキって人は、こんな短編も書いているのか、と感じる程度にはちょうどいいのではないか、と思います。(彼はそれほど素晴らしい作品をたっくさん残している、と僕は思う。)
そんな程度の感想ですが、本作のように楽しく一気に読み干せた、という経験はほかの作家ではなかなか困難なものです。
