沈める滝 著者名:三島由紀夫(著)
出版社:新潮社
出版年:1963.12
ISBN :9784101050119
三島由紀夫を読むのも久しぶり。これでハマったのなら、第三期目のような気がします。
第一期は、教科書的に有名な『金閣寺』、『仮面の告白』。
そして第二期目は、読みやすい中編(『宴のあと』、『美徳のよろめき』、『青の時代』、『午後の曳航』、『潮騒』、『愛の渇き』、『春の雪−豊饒の海1』くらいかなぁ。)を読んだ気がします。新潮文庫の目が疲れるオレンジ色で本棚いっぱいにしたい、と思いました。
しかし、だいたい何冊か読むと、疲れというか飽きというか、他の作家に気が向いてしまうのです。
というのも、門外漢かつ脳みその動きが鈍い私には、少々難解というか、理解しきれない部分が明るみになって、三島の偉大さに打ちのめされるとともに、ダメな自分への嫌悪感でいっぱいになるのでした。いやぁ天才すぎですね。
本作もあんまり有名でないだろうけど(もちろん一般的にね)、普通に読ませます。
石と鉄を愛した男が、自分と同じような不感症の女、顕子と人口的、擬似的な恋愛を作り上げようとする。
情に乏しい二人は、普通の「恋愛」はこれまでできなかった。それで恋愛を信じない二人が恋愛をできるのかっって問うてます。
題名について言いますと、ダムの建設の進行とともに、物語は進められていくのだけど、顕子を象徴する小さな滝が、そのダムに飲み込まれるまでの話なので、あのようになっているみたいです。
いいわけからすると、通勤電車で流し読んだのだけど、大筋はともかく、細かいところの意図が計りしがたい。馬鹿の僕では。
でも恋愛を信じることができない二人が抱える問題は、表面では同調しながらも、心の底では信じたがっている僕のような凡人には切実です。
しかしながら、主人公は、格別恋愛を信じれない自分を悲しんでいるわけでもなく、そういった感傷を排しながら、いや元々信じていないのだから、排する必要なく、生きています。
ここが個人的に気になる点です。
「恋愛」という実体のような存在を見立てて、人は行動しがち、というか普通そうなんじゃぁないかな。信じてないなんて極めてペシミスティックに響きますよね。心の奥では求めているのですが、それ故こそ悲しい話になってしまうわけで。
しかし、主人公の彼はあまりにあっけらかんで、思想は盤石で、揺るぎない。ダムの男なわけです。そこには、悲しみだの情だの存在しないわけです。たどでかい鉄の塊なわけだ。
だからなんなんだ、と言われるとよくわかりません。難しいんです。
触れませんが、話の終わりもなかなかシビアなもんでした。よくわからないけど。
なんかグダグダになってきたので終わり。
もっかいで直します。
