2008年02月10日

池澤夏樹『南の島のティオ』(文春文庫)


南の島のティオ
著者名:池澤夏樹(著)
出版社:文藝春秋
出版年:1996.08
ISBN :9784167561024


始め通勤電車で読んでいたのだけれど、もったいなくなって
家でゆっくり読むことにした。
それくらい世界観が強い、というか読者を南の島へと連れてっていくものだから、
すぐさま気持ちを切り替えて仕事、などという無粋なことをしたくなかったのである。
ゆっくりとした時間の中で、休暇でも取ったように、
強烈な青色の海と空に囲まれた南の島へと旅させてもらいたかったのだ。

具体的には、南の島でホテルを経営する一家の息子、ティオが
様々な人々と交わり、体験した出来事をまとめた連作短編集。

第41回小学館文学賞受賞していて、
児童文学という位置づけになるらしいけど、
大人もじっくり楽しめる透明で優しい作品。
瑞々しい感性をもった子供が楽しむのもいいかもしれないけど、
いい大人が忘れかけた感覚をくすぐられてもいいではないか。

個人的には、結局大人のせいか「ホセさんの尋ね人」がよかった。
よくいる観光者のように思われたホセさん。
けれども彼はある明確な目的をもって、島へとやってきたのだった。
その目的とは、40年も前この島で一緒に暮らしていたものの、
別れ別れになってしまった女性=マリアを探す、ということ。
ティオとマリアを探し始め、ホセさんは、
とうとう彼女がどのような生活をしていたのか突き止める。

マリアはひたすらホセさんを待っていた。
ホセさんはフィリピンで奥さんも子供ももうけてしまっていたけれど、
マリアは、ずっとホセさんを待っていて、一人寂しくその生を終えてしまっていた。
それを知ったホセさんの目からは一筋の涙が零れたのだった。

ホセさんのそんな姿を見て、14歳のティオはこんな風に思った。
ぼくはただ人にはいろいろな人生があって、みんなそれぞれに誠実に生きようとしているのだということを、少しだけのぞき見たように思った。(p.167)

君はいい大人になるよ、今27にもなったぼくが忘れていた、
いや気づいていなかったことだもの、うんうん、
とか思ったぼくでした。
少々ベタな展開だけども、こういう話弱いんだよなぁ。

でも「ホセさんの尋ね人」はむしろ例外的な大人の物語で、
本作の基本は、子供の目線を大事にした、不思議な出来事ばかりで、
それでも一生懸命だったり、素直に受け入れられていくような世界観。
特に、受け取った人が必ず訪れたくなる絵はがきがでてくる
「絵はがき屋さん」などは、とっても素敵な不思議感。

せわしなかったり、きゅうきゅうだったりする現実から
抜け出したくなった時や休みたくなった時に、
手にするのもいいかもしれないです。
posted by より at 00:41| Comment(2) | TrackBack(1) | 池澤夏樹

2008年01月12日

池澤夏樹『バビロンに行きて歌え』(新潮文庫)


バビロンに行きて歌え
著者名:池澤夏樹(著)
出版社:新潮社
出版年:1993.05
ISBN :9784101318110


組織の命令で罪を背負わされ、レバノンから逃亡してきた
若い一人の兵士=「ターリク」が主人公。
ただし、物語の舞台は東京である。
銃弾が飛び交い、常に敵の目を気にしなくてはならなかった中東の一国から
穏やかな平和で満ちた場所へとやってきたギャップは大きい。
アクシデントでパスポートを手にすることができなかったターリクは、
東京にあっても、他人の目を避け、逃げるように生活する。

やがて彼の不思議な魅力は様々な人の好意を誘い、彼自身も東京で根を下し始め
ついには(こんな説明だと、唐突であるようだが)音楽活動を始める。

物語は、ターリクの視線からのものだけでなく、
彼を中心にして、彼を見た、或いは見ている人々の視点から
ターリクの歌声や魅力について、様々に語られることとなる。

物語のはじめでは、中東の戦士という一つの他者からの目線で
僕にとって「日本」という当たり前の風景を
緊張感のある異質な空間へと変貌させていく。

しかし、途中からは、彼の歌声、存在によって影響を受けて
彼を取り巻く人々の人生が変わっていくさまが描かれている。

マクドナルドのコーヒーを片手に、
ターリクと語らい、恋人のような関係を築いた女性。
母親が死んだ日に、ターリクのバンドのチケットを買った青年。

彼らにとってターリクとの出会いは、
人生を劇的に変えたものでもないだろうし、
合わなくてはならなかった必然性も存在しないだろう。
しかし、出会いによって、何かが変わり、
これからも彼らの中で生き続けるような「なにか」である。
彼に恋をした女性は彼との出会いを振り返ってこういった。
ふりかえって見ると、わたしは彼に会う以前とは違う人間になったような気がします。今の自分の方がずっと好きです。今の自分ならば、これから先どんな事があってもしっかりとやっていけると思います。(p.101)

ターリクの存在、または歌声は、(男だけども)巫女的というか、いたこ的役目をはたしていて、
出会う人々にとって、「これからうまくやっていけるだろう」と思わせるような力を持っている。
ターリクは、夢破れ、田舎へと変えることを決意した「アナ」という女性に対して言う。
「…歌うのはぼくじゃない。死んだ強い兵士。死んだ子供や女や老人。みんな、ぼくの口で歌う。ぼくは声を貸しているだけ。…」(p.193)
彼の歌声は、人々の心の深いところで響き続けるのだろう。

印象的なのは、レバノンでの過去を誰にも話すことのできず、孤独を抱えたターリクも
一匹の犬に昔の恋人の名前を与え、かわいがっていることだ。
その「ライラ」が交通事故にあってしまった場面では、ターリクは人目を気にせず涙する。
なんだか胸がキュッと押さえつけられるようだった。
posted by より at 20:07| Comment(2) | TrackBack(1) | 池澤夏樹

2007年12月02日

池澤夏樹『やがてヒトに与えられた時が満ちて…』(角川文庫)


やがてヒトに与えられた時が満ちて…
著者名:池澤夏樹(著)
     普後均(写真)
出版社:角川書店
出版年:2007.11
ISBN :9784043820016


本屋をいつも通りブラブラしていたら、新刊棚に置いてあったので、勢いで購入。
NHKの宇宙論の企画で出版された本に「フィクションのようなものを」依頼されて、書かれた「星空とメランコリア」という四篇のモノローグ。それと一緒に、普後の写真とコラボして書かれた本題のSF小説が、この小さな文庫本に収められている。
帯書きによれば、著者初の近未来小説らしいが、本人のあとがき記されているように、これまでSFを読んできた著者にとって、そう難しいことではなかったようである。
僕の場合、SFはほとんど読まないのだが、スラスラ読めてしまった。

『やがてヒトに与えられた時が満ちて…』はカナダにある世界最大のショッピングモールに彼が訪れたことがきっかけになって生まれたものらしい。そのモールの中では、デパート、ホテル、プール、遊園地など様々な施設がひしめき合い、一つの大きなコミュニティを形成している。
またその後、バイオスフィア2という研究施設に赴き、その地球を模して作られた、一つの自律した生態系をみたことで、彼の中に本作の着想が生まれたという。

主題は極めて明瞭に本人が述べている。
「主題は、孤絶した空間で安定して自律的に暮らすヒトの悲しみだろうか。」

本作の設定は以下のとおりである。地球で子供が生まれなくなり(「グレートハザード」と作中では言われる)、ヒトが絶滅することが明らかになった。そのため「まだ産めるもの」たちは、隔離され、地球上ではなく、人工衛星へと移住し、自律した都市空間を形成した。そして、そこに住む人々はCPUの支配のもとに、労働もなく、感情もない世界で安定した生活を送っていた。昔の地球上の生活を追憶することは禁止され、その生活に何の疑問を持つことなく、人々は生活しているのであった。そこに住む主人公が、幽霊らしい老人、音楽家の彼女との関わりの中で、その安定した世界、その成り立ち、そして存在原理などに、疑問を持ち始める。

SFを知らない僕には、まぁ興味深い設定なのではあるが、ありきたりのものなのだろうか?
私にとって、他者は「外部」である。日本人としての私にとって、外国人は「外部」である。人間としての私にとって「外部」は宇宙である。
いつも池澤は、南洋の島国のようなところ、つまり海外に足場を求めるような気がしていたのだが、それが僕は苦手だった。でも宇宙まで言って行ってしまったのならいい気がした。なぜかは分からないけど。行けないほど、遠くの話がいい。

池澤夏樹の想定する世界は、近未来にあり得るかもしれないが、今は想定できないもの、SFだ。まだ僕ら人間は、文明を失ってはいない、音楽も小説も生み出すことができるだろう。追憶も許されるだろう。まだ失っちゃいない。
でも、CPUが最大の原理とした「安定」を守ってあんな世界も悪くない。仕事も悩みもないそんな世界。ラグランジュの人々のように何も知らないまま生きてくのもいいのではないか?
そんなことをゆらゆら考えた時、極度に右傾化したA友人の言葉を思い出した。
「全体に巻き込まれて、飲み込まれて、個人なんてなくていいのか?」
そんなことを僕が問うた時、吐き捨てるように彼は言った。
「自我なんていらないんだ」
彼はうつむいていた。
そうかもしれない、とその時僕も思った。
ラグランジュは、自我をツルツルとした摩擦のないものにして、自我の存在を弱めていたのかもしれない。そんな風にしたら、それはそれで人間は生きていけるのかもしれない。

ただ、自殺も増えている、とCPUは言う。人間は満たされることはないのかもしれない、そんな風にも思える。極度の平和にも耐えることはできないのだ。

なんかわけわからなくなったのでおしまい。
posted by より at 23:32| Comment(2) | TrackBack(1) | 池澤夏樹

2007年11月18日

池澤夏樹『イラクの小さな橋を渡って』(光文社文庫)


イラクの小さな橋を渡って
著者名:池澤夏樹(著)
     本橋成一(写真)
出版社:光文社
出版年:2006.02
ISBN :9784334740146


池澤夏樹の小説はほとんど読んだことありません。
初期の作品を3冊ほど読んだのみで、エッセイなどの類も全く手を出していない。

けれど、現代の作家では珍しく以前から気にかかっていて、最近、彼の父である
福永武彦の『忘却の河』(新潮文庫)
を読んだのもあって、ずっと本屋で「い」行を眺めていた次第。

それであまりなじみのない光文社のコ−ナーをみたら、こんな本があったので読んでみた。

イラク戦争開戦前夜の日常風景。極めて時事的、政治的問題を取り上げた紀行文?であってリアルタイムでなくては彼の真意というか、「思い」はなかなか理解できるものではないような気がする。実際あとがきにあるように、出版する際には異例のスピードで出版の運びとなったらしい。

この本で彼が言わんとしてたところは、ニュースなどでは触れられることのないイラクの人々の日常生活を自らの目で確かめ、地に足をつけたところから、イラクについて論じましょう、ということなのだ。ぼくらと同じように、彼らにも毎日があって、笑顔や涙がある。だから、僕などは頭でしか理解できないけれど、それをじかに肌で感じた彼は
「この人たちの上に爆弾が降るというのはとても理不尽なことのように思われた」(p.53)
のはもっともなことだろう。

しかしながら、イラクの現状は報じられているほど厳しいのではないとか、アメリカは戦争において非人道的な手段を使って広告してきたなど言われても、ピンとこない。
そりゃぁそうだろう、などと、知ったかぶりをしてしまいそうになるわけで。
そうしたことも勘案しなくてはならないことは当然のこととして、イラク、アメリカについて
考えると、どちらが悪いとは、言えない気がするのである。

北朝鮮についても同じことが言えるのだ。あそこの政治家はひどいかもしれない、でも一般人に罪はない。だから戦争してはならない……
でも、もしアメリカが戦争をふっかけると言い出しても、僕は何も言えないきがしてしまう。僕が情けないかもしれないのだが、空虚な気持で眺めるしかないのかな、と思ったりする。

池澤夏樹はしきりに「想像力」というのだが、ぼくからしてみたら、その「想像力」が大問題でして、そもそも元凶である「国家」、「民族」、「宗教」などは、まさに人間の「想像力」が生み、そして育てたものであって…などと考えてしまうと、閉口してしまうのだ。

僕個人にについて言うと、イラク戦争には無関心であった。いや正確にいえば目をそむけていたかもしれない。どうせ、アメリカは止められっこない、そして平和憲法を持つ日本は、ほとんど憲法違反を犯しながらも最大限のサポートをするんだろうな、と思っていた。

実際そうなったんだと思う。

新聞、テレビなど、そういったメディアを避けてきたから詳しいことは知らないけれど、やっぱり戦争は防がれることはなかった。
極めてペシミスティックな考えかもしれないし、他人事にふるまっているなんて無責任なのはわかってる。でも、なによりそうした現実を見つめることが嫌だったのだ。

僕の個人的な話だが、アフガンで挫折してしまった気がする。イラク戦争に比べてまだ正当化できうるだけの理由があったのかもしれないけど、僕はアフガンに対する空爆が起こってしまった時、緊張の糸がプッツン切れてしまった。必死で新聞を読んで、時事的話題を語り続ける言論を追っていたのが、ばからしくなってしまったのだ。

イラク戦争が始まる前、本書の出版など最大限の努力をしていた池澤夏樹も、似たような(全く次元が違うのは当然だが)感覚に襲われたらしい
 
 戦争が始まってしまった。
 ぼくにとってこれは衝撃だった。その時の脱力をよく覚えている。(p.71)

しかし、彼はめげちゃいない。いや、めげているのかもしれないが、語ることをやめたりなどしない。少々長いが、開戦後の2005年当時における彼の答えは以下のようである。

…今、この本に書いたぼくのイラク旅行の記録は、意味が変わったと思う。
僕は前にイラクがこういう社会である、これを壊すな、と言った。今は、イラクはかつてこういう社会であった、せめてこれを回復する方向に努力を向けよ、と言いたい。(p.85)
posted by より at 12:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 池澤夏樹