走れメロス 著者名:太宰治(著)
出版社:新潮社
出版年:2005.02
ISBN :9784101006062
太宰治は、誰もが知ってる大作家。
そんなこんなで、ちょこちょこ読んではいたのですが、
表題作「走れメロス」を教科書以来、改めて読んだのは、今回が初めて。
太宰を読んでいつも思うのは、
「佳作だなぁ」
ということ。えらそうな発言ですが、より正確に言うのであれば、
「運命の出会いだ!、というほどでもないけど、全部それなりに面白く読める」
肯定的な意味合いで。実際『晩年』や『ヴィヨンの妻』は傑作だと思いましたし、
ここまで読ませてくれる作家はなかなかいません。
ではこの作品について言うと、
さすが中期の代表的短編集と銘打たれているように、安定していて、
9編すべて面白いし、太宰を語る上で大事な作品なんだということは、わかります。
「富嶽百景」「東京八景」やらは、彼の背景を知るにも絶好の作品であります。
しかしなにより、興味深いのは「走れメロス」にたいする自分の感想です。
まずなんか笑えるんです。僕がひねくれているからでしょうか?
メロスが「竹馬の友」というセリヌンティウスを自分の代わりに暴君に差し出すのは、
あまりに理不尽でびっくりしました(勿論、メロスが彼をのちに助けるつもりであるのは重々承知の上で)。
メロスが一度諦めてしまうところも、とても人間的でいい。
どうでもいい、くらいな勢いでやり投げになってるし…
しかも最後に暴君が仲間に入れてくれって、おいっ!と突っ込みたくなる感じ。
もちろんいろんな解釈があるんでしょう。あまりに稚拙な読みでしょう。
しかし、教科書的、健康的な作品として読むのは難しいと思いました。
暴君がメロスにその残虐を追及されて言う言葉が、極めて現代人的で印象的です。
「(…中略…)おまえには、わしの孤独がわからぬ」(p.166)
「(…中略…)人の心はあてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。
信じては、ならぬ。」(pp.166-167)
この暴君を改心させるメロスは太宰にとってどんな存在だったのか、考えてしまいます。
そんな友情、愛情は存在しない、あるいは虚構にすぎないと考えつつも、
それにもかかわらず<描いたのではないのかなぁ、と勝手に思い描き、
思い沈んでしまったのでした。
持続した動機、欲望というのがきわめて難しいのが現代だと僕は考えています。
それこそがリアルだとも考えています。
しかし、メロス的純粋なものは、リアルでないにもかかわらず、
勝手な憧憬というか、魅力を感じ、憧れをもってしまうことも事実です。
だから、最後は首をかしげつつも、まぁすっきりするわけです
(正直なところ、セリヌンティウスが殺されてしまって、悲しみに明け暮れ、
人を、そして自分を信じることができなくなったメロスを想定するのが
一番すっきりしそうなんだけども)。
長々書いてわけがわからなくなってきましたが、
結論を言えば、色んなことを考えてしまう興味深い作品であったということです。
教科書で読んだってのが、つまり小さな頃の印象あるってのがみそなんでしょうね。
