2008年03月23日

吉行淳之介『宮城まり子が選ぶ吉行淳之介短編集』(ポプラ社)


宮城まり子が選ぶ吉行淳之介短編集
著者名:吉行淳之介(著)
     宮城まり子(編集)
出版社:ポプラ社
出版年:2007.07
ISBN :9784591097854


ここんところ、吉行淳之介が好きなのか、それとも宮城まり子が好きなのか、
わからなくなってきていたのだが、まさにその二つの気持ちをかなえてくれる本が、
ありましたので、手にしてみました。

宮城さんの序文がついていて、彼女の編集のもと、吉行の代表的な短編が編まれている。
短編は大体読んであったので、やはり引き込まれたのは、宮城の序文。

しつこいようだけど、彼女の文章は、天才的というか奇跡的ともいうべき素晴らしさで、
すぐさま彼女の気持ちが読者であるぼくを包みこんでしまった。

著作権やらよく知らないけど、問題かもしれないが、
すばらしすぎるので引用させてもらいます。

(…中略…)これは、本当に夢のような話だけれど、私、私が、選んで、これを読んでくださいっていいたくていいたくてがまんして、それが、夢が本当になって、ここに一冊出来ます。ただ、愛しているから、ただ、愛の表現がこれ。この御本、誰が、なんてったって、これ、あなたへの愛のかたまり。

なんですか、これ、って突っ込みたくなるくらい素敵な言葉たちです。
泣けます、これ。しびれます、びりびりと。いや今もしびれております。正直なところ。

宮城について書くのは脱線であるし、少々気違いじみてくるので、
初めて読んだ短編について少々。

「手品師」は、作家である倉田が偶然出会った少年の淡い青春の恋について。
手品をしている少年は、英子というバーにいる少女に恋をしている。
礼儀正しく好青年であるのだが、少年ぽさも抜けず、童貞だ。
しかし、恋した英子は、既に「赭ら顔の禿げた頭の男」と関係を結んでいたのだった…
切ない話。純粋な少年と、見かけは少女でも既に大人の女の話だから
結末は見えているのだけど、こういう苦い感じ、切ないです。

「紫陽花」とか「菓子祭」もいい作品で、「寝台の舟」、「鳥獣虫魚」など盛りだくさん。
真赤な装丁もいいし、入門にはとてもいいのだろうな、と思いました。
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2008年02月08日

吉行淳之介『吉行淳之介全集 第6巻』(新潮社)


吉行淳之介全集 第6巻
著者名:吉行淳之介(著)
出版社:新潮社
出版年:1998.03
ISBN :9784106460067


とうとう全集に手を出してしまった。
実は、この全集の解説者は池澤夏樹です。
そこんとこに興味もあって、我が家の近くの偉大な図書館
(建物は出来たてで、しかも近代文学専門!)に足を運んだのでした。
しかし、借りたはいいものの、のばしのばしにしていくうちに、読む暇がなくて、結局
「闇の中の祝祭」のみしか読めず、「技巧的生活」が次回挑戦、ということになりました。

「闇の中の祝祭」は極めて私小説的要素が強い作品で、
吉行自身が奥さんと宮城まり子に挟まれて、ほろほろ困り果ててしまっている、という内容。
(手元にテクストがないため、しかも実は少し前に読んだためにあいまいです。)

これまで読んだ作品とは、何かが違う。
主人公が娼婦やら行きずりの女に、よくわからないけど、引っ張られていく、というのは
これまでにもあった展開。娼婦との関係性は描かれても、
決して「恋愛」という関係に至ることはなかったように思える
(少ない読書経験での考えですから、間違えているかもしれませんが)。
しかしながら本作では、宮城まり子であろう「奈々子」に、
とっても惚れてしまっている、という設定。
作中で本人も驚いているとおり、読者にとっても新鮮である。

(これは手元にある)『私の文学放浪』(講談社文芸文庫)では、「闇のなかの祝祭」について、
吉行は「書きにくい」話であるいい、実生活との関係を説明するのに懸命である。
だからもちろん
…私が狙ったのものはもちろん実生活の告白ではない。それではなにかといえば、女性に惚れたときの妻子ある男状態の悲しさを含んだ滑稽さを描き出そうとした。男の気持が真剣になればなるほど、その滑稽さは大きくなってゆく。(p.125)
といっている。
本当にそうなのであろう。
しかしながら、それでもなお、ぼくはあえて「奈々子」に宮城の姿を重ねている。
だって宮城さんが好きだから。(よく知らないくせに…)

実際のところ、当時の反応も同じで、私小説ととらえられ、文芸評論家からは酷評があり、
「ふやけたノロケ小説」と評したものまでいるようだ。

ぼくにとっては、「ふやけたノロケ小説」だろうが、くだらない私小説なのだろうが、
あんまり関係なくて、とても良い恋愛が描かれているように思えました。

妻については、いたずら電話を不倫相手にする姿など、なかなか読むのもつらい
追い込まれていく圧迫感があるのだけど、
宮城のシーンばかりに心奪われました。
やっぱりいい女です。
吉行の目を通しても、彼女の天真爛漫としたキラキラと光る輝きは失われることはなく、
むしろ奈々子についての記述は、本人が書いたのではないか、と思われるくらい、
宮城的?な文章で、メロメロになってしまうのでした。

冷静に考えてみると、宮城は、現実的にはこのような修羅場をくぐりぬけていたわけで、
以前取り上げた宮城自身の本では、そういったいかんともしがたい関係性は見受けられなかったので、驚きました。また宮城さんをいい人だなぁ。と思ったのでした。

感想が、結局小説の内容ではなく、ゴシップ的な宮城さんのことばかりになりましたが、
(いいわけではないですが)こうした私小説性も、ぼくが本を読む上で
極めて大きな要素になっていることも確かで、
そこに込められている作者の気持ちとは裏腹に
小説自身から湧き出てしまっている作者の思いや現状は
作品の魅力を語るときに大事なものなのではないでしょうか。

そういうのはいらない、という人もいるんでしょうが。
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2008年01月19日

吉行淳之介『街の底で』(角川文庫)


街の底で
著者名:吉行淳之介(著)
出版社:角川書店
出版年:1971.12
ISBN :9784041250037


『街の底で』は、初めて吉行が新聞に掲載したもので、どちらかというと、通俗的な作風で、一般的に彼の代表作と挙げられるような作品ではないだろう。全体的に見ても、完成度が高いものかどうか分からない。
ちなみに、かの有名な「モモヒザ三年シリ八年(p.30)」という文句が使われている作品でもある。

基本的な話の流れとしては、娼婦に(今でいう)ストーキングをされて逃げる、という感じ。街の底で蠢く娼婦に魅かれて、娼婦と関係を持つのだが、その肝心の娼婦に追い詰められていくのである。

陰鬱で暗い街に生息する彼女らを見つめる主人公=佐竹は、見慣れぬ風景を楽しむ「旅行者」という意識でしかない。
あっけらかんで、ただ楽しむように体を重ねる彼女らは彼にとって必要なものだった。

しかし、その旅行者が、そこに棲みつく彼女らと感情を交わしてしまうと、関係は一変する。
「旅行者」としての意識しか持たない彼らは、街に身を置く彼女らにとって、憎悪の対象となってしまう。

また、そうした陰気な趣味で、彼を追い回す女性は、自分の自由を制約しはじめ、ふらふらと気ままに漂流し続けたい彼にとって、煩わしい存在へ様変わりしてしまう。

しかし、彼もまだ迷っている。女性と関係を持つことへの慾動は否定できないからだ。
堂々巡りなのである。

吉行さんのこうした逆説的な態度を、自然と人工、情熱とクールとか二項対立的にとらえて、そこでゆらゆらと揺らぐ姿と解釈できなくもないんだけど
(村上春樹は『若い読者の〜』において、ある短編を「技巧性/非技巧性」で解釈していた)、
ぼくには正直よくわからない。
ただ、こうして逃げまとう男に漂う徒労感というか虚脱感のようなものに肩入れしてまうみたいだ。
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2008年01月14日

吉行淳之介『男と女の子』(中公文庫)


男と女の子
著者名:吉行淳之介(著)
出版社:中央公論新社
出版年:1974.01
ISBN :9784122000988


「どういうものか。円い顔は俺の胸をときめかせるのだろうか?」(p.8)

個人的にとてもいいお話である。
映画に好きな俳優が出ていることで興味がわくように、自分好みの女性が出てくることで面白くなることがある。ぼくも「円い顔」にときめかされてしまいがちだから。

あと主題として、男と少女という組み合わせが、不思議なくらい好きである。
いや、少女に限らず、少年でもよい。血がつながってなくてもよい。
映画も、小説もそういうのが好きなのである。
理由はあまり掘り下げたくない気がするけど。

この話は、会社を辞めたばかりの男が、少女と出会うことで、物語が始まり、
その貯えが失われると同時に少女との関係も終わり、幕が閉じる。
それだけの話。

ただし、単なるロリコン的な恋愛話というわけではなくて、
男は、戦争という影が引きずっており、生き残ってしまった自分に対する罪悪感、またそれを乗り越えるための自尊心、などなど、そういった深い生への迷いが見え隠れもする。
それに対して、戦後生まれで孤児として育った少女は、テレビにでるために必死で努力している。そうした少女の姿に、バランスの悪さを感じつつも、男は心が引かれているのである。こんな風に、「性」的なものだけではなくて、「生」的な話でもある。

全体的な感想として
吉行さん独特の皮膚感覚、それは「アレルギー」というキーワードとともに語られるのだが、少女に対する思いと、その「アレルギー」との関係がうまく理解しきれなかった。
だからこの文章の書き方も、なんだかしっくりきていない。

でも面白くて、スラスラフムフム読みました。

もう一度読まなくてはならないなぁ、と思う。
でも、なんだかつらいなぁとも思う。
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2008年01月06日

吉行淳之介『美少女』(新潮文庫)


美少女 改版
著者名:吉行淳之介(著)
出版社:新潮社
出版年:2007.12
ISBN :9784101143057


新潮文庫の《復刊》シリーズは素晴らしい。
というか、裏返せば、名作がたくさん絶版になっていることも意味しているのであろうが、
岩波文庫といっしょで、発売までドキドキしちゃって、
書店に並んだとたん勢いで即買いしてしまいます。
大体小難しくて投げっぱなしになったりするんだけど。

本書『美少女』はそんな小難しさはどこへやら、
文豪のエンターテイメント的側面を垣間見させてくれます。
400頁近い作品ですが、あっという間に読み終えることができました。

実のところ、吉行淳之介にとって、こういった大衆向けの小説を書くことは
珍しいことではなかったみたいで、『すれすれ』、『街の底で』など
大きな一つの柱となっていたそうです。
もちろん好みからいえば、純文学系列の方が好きですが、
なかなか興味深く読むことができました。

あらすじは面倒なので、またしても裏表紙から抜粋。

美しい混血の少女・三津子。彼女は、放送作家・城田祐一の紹介でホステスとなるが、突然に失踪してしまう。手掛かりとなるのは、少女の体にあるという星と月の刺青。だが、少女の行方を追う城田は、彼女の周囲に他にも刺青のある女たちがいることを知って……。複雑な人間関係と屈折した愛の心理をミステリアスな手法と軽妙洒脱な文体で描きだした吉行流エンターテイメントの傑作。


はじめのうちは、吉行的な女性との一悶着、という感じなんだけれども、
いつのまにかミステリアス的な色合いが強まってきて、
しまいには、どこからか推理小説家が登場して、
問題の紐解きに一役買ってしまう、などなど
驚くべき展開をみせます。

ただし「ミステリアスな手法」であって、本格的な推理小説でもないから、
その後の話は、吉行淳之介独特の世界が、スピードに乗って終末に向かうのであって、
少々消化不良の感が否めないのですが…

単純に食わず嫌いで、僕がミステリーが嫌いなこともあるし、
彼に対して期待していたものと異なるということが、
大きな要因となって、そのような感触になってしまうのでしょう。

けれども、あくまで吉行淳之介であって、ちりばめられたモチーフは、なんとも素敵で、
魅せられている自分に気づきます。
「透明人間ごっこ」、「快楽コンサルタント」、「星と月の刺青」などなど。



本作は上記のとおり、ミステリアス風エンターテイメントなんですが、
その主題として、人間関係、特に男女関係の入り組んだ複雑さが挙げられましょう。
「ぼくが言いたいのは、男と女が一対一でつき合っているつもりでも、
その関係はしばしば、いや、いつも、
複数と複数でつながっている、ということですよ」(p.44)

この城田の言葉は、作品のはじめから終わりまで、通奏低音のように響いています。

未亡人の背中には、亡くなった前夫の影が張り付いており、
男の背中には、気になる女の影が漂っています。
「透明人間」というモチーフも、このための比喩であることは、ご理解いただけましょう。

そんな話はさておき、美少女の北斗七星の刺青っていうのが、いいですね。
なんだか変態のような感想になってきたので、
筆を置くというか、キーボードを打つのやめましょう。終わり。
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2007年12月16日

吉行淳之介『恋愛論』(角川文庫)


恋愛論
著者名:吉行淳之介(著)
出版社:角川書店
出版年:1973.06
ISBN :9784041250075


文字通り、恋愛についてのエッセイ。少々堅苦しい題名であるが、文章的にはとても読みやすい。吉行自身「かなり本質を衝いたものという自負がある」と言い、「もう二度と、この種の文章を私は書く気持ちはない。」そうだ。
なかなかの自信作ということか。

今回偶然、通りがかった本屋で見つけて衝動買いしたのだが、実は既に五年ほど前に古本屋で買って、旅先に置いてきた本であった。つまり、一度は簡単に流し読みはしたことはあるはずだ。しかし、記憶の容量が極めて小さな私は、全く内容など思い出せないのであった。あまり面白くなかったのであろう。
けれども、今の自分であればどう思うだろうか、と手にした。

やっぱりダメなようだ。吉行はところによって座談の名手といわれ、同時に又軽妙なエッセイの紡ぎ手といわれるようだが、彼はエッセイを書くことや座談で話すことが、あまり得意でないのではないか、と僕個人は思ったりする。小説になると、臭いがたつ繊細な作品として、興味深く思われる娼婦などの女の話が、陳腐な世間話に陥ってしまうような気がするのだ。これは僕の鈍い感性に原因があるのかもしれないが、小説はとても面白いのに、エッセイや座談が面白くないには何か理由があるのではないか、と疑っている。

以前も書いたように彼はなかなか当時の風俗や流行に敏感であったために(むしろ「夕暮族」などという流行も生み出しているが)、当時の感覚を前提にしているものが多い。ゆえに彼自身の考えは問題なくとも、前提となる社会の考えが、少々古臭い考えと思ってしまう箇所が少なくない。だからアクチュアルな問題として受け止められるものあまりない。

またそれが現在の社会に当てはまるように書かれていても、普遍性はあまり持ち得ないのではないか、と生意気なことを考えたりするのである。小説ではその具体的で機微に富んだ作風が普遍性へとたどり着くこともあるのであろうが、エッセイではあまり成功していないのではないか。

パターンとしては、実例で挙げられる友人の話や小説の一節などのそれぞれは洒落ていたり、面白かったりするのだが、結論は極めて常識的なものの落ち着いてしまうようだ。
例えば、「会話」は、「恋が燃えさかっているとき…第三者が聞いても、おそらく意味を捉え得ないことが、雄弁に二人の間に通じている」、と締められ、「愛と性」では、「霊肉一致の境地」が理想とし、性を抑圧する要素が、逆に煽情的になる、とか、結構普通なのである。

ま、知りもしない癖に、生意気なことを書きましたが、もう少し読まなきゃダメでしょうね。
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2007年12月13日

吉行淳之介『娼婦の部屋,不意の出来事』(新潮文庫)


娼婦の部屋,不意の出来事
著者名:吉行淳之介(著)
出版社:新潮社
出版年:1966.11
ISBN :9784101143026



13篇の短編が収録されており、吉行の文学を味わうには、値段も手ごろで、また内容も読みやすい良書であろう。
「娼婦の部屋」、「寝台の舟」、「鳥獣虫魚」など一般的に評価の高く、初期の彼の代表作ともいえるような作品が入っており、お薦めの本です。

個人的には、「娼婦の部屋」がとても気に入った。というか理解できたと感じれる作品がそれだけだったのかもしれない。短編であるから当たり前のことだが、短い作品ばかりであったから、「世界に入れたら、そこはすでに出口だった」、ような感覚に陥ってしまうことがたびたびあった。そういう意味でも「娼婦の部屋」は、話の完結がうまくいっていたような気がする。

「毛を毟られたにわとり」(正確には、「むしられた」の漢字は手偏つきです。)のような疲れ果てた男は、娼家に足が向いてしまう。相手は娼婦とわかっていても、嫉妬を禁じ得なくなっている。しかし、生活が安定していくことで、娼婦の街とも落差が開きはじめてくる。「この町は私を必要としなくなっており、また、私もこの町を必要としなくなってしまった」のである。

肉体的な繋がりによって、なにか二人の間にうまれるものがある。しかし、それは一時的な心地の良い幻想でしかないことは分かっている。弱った精神はその幻想にしがみついてしまいがちだ。しかしだからといって、身体の関係を断ち切って、精神的なものだけで繋がろうとすること、あるいは繋がったと感じることこそ本当の繋がりだ、ということではない。それも方向が違うだけで、同じことなのだ。
「女」は他者であり続ける。愛する対象であり、恐れる対象である。分かり合えるものではないのだ。

しかし、吉行の妻との間など、女性関係は詳しく知らないのだが(いい加減勉強してもいいころだが…)、宮城まり子を知ったおかげで僕は救われたりする。吉行淳之介でも宮城のような女性を愛したのだと考えると、同じく宮城に心奪われた僕は、大丈夫だ、と意味なく自分に語りかけるのである。

そこだけ抜いてしまうと、少々警句染みてますが、気になったところを引用して終わり。

…男と女とでは理解し合えない空白の部分が残ってしまう。そのため、男はその空白の部分を身体と身体の触れ合いで埋めようとする。そして、そのことによって、その空白が埋まった、と錯覚することがある。その錯覚が一生つづいている男は、しあわせといってもよいだろう。しかし、そのことによって、じつはその空白の部分は一層広がってしまっているのかもしれないのだ。(「青い花」p.148、ただし「からだ」の漢字が出ないので「身体」に置き換えてます)
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2007年11月26日

『吉行淳之介エッセイ・コレクション2 男と女』荻原魚雷編(ちくま文庫)


吉行淳之介エッセイ・コレクション
著者名:吉行淳之介(著)
     荻原魚雷(編集)
出版社:筑摩書房
出版年:2004.03
ISBN :9784480039323


吉行淳之介の「男と女」について書いたエッセイをいくらかまとめた選集。
読みやすく、雑文というか、婦人雑誌にのっけていそうな軽い文章が大半です。

前回もこのコレクションの4を読んで、ショックを受けてしまったのですが、
現実を受け入れるのが困難だったため、本書を購入(馬鹿みたいに消費してるなぁ)したわけですが、感想としては「まぁまぁ」というところ。

読む目的によって、その充実感は異なってくるものでしょうが、僕の場合、吉行の「男と女」についての考えに知りたい、という作家自身に対する興味が少々と、
「男と女」に対する純粋な好奇心から、面白い或いは有意義な考察、を欲してもいたので、
後者の意味合いでは、あまり有意義とは、言いづらいものでした。

主に、赤線廃止されたことについてのお話が多く、もちろんそれを知ることは、彼の作品の読解について、少なからず材料を提供してくれるのではあろうが、やはり時代のギャップがありすぎて、例えて言うのなら、親戚の叔父様に昔の様々な風俗についてお話を聞いているような感覚でした。

それは、玉の井や吉原についての当時の情景を具体的な経験を例示されながら、興味深く聞いていることになるわけで、今の新宿や渋谷の歓楽街の話を友達とするのとは、やはり違います。
郷愁や憧れを誘うものであっても、実用的(そもそも文学者が実用的な話をするわけはないが)というか、我が身に降りかかるものとして考えられるものではありません。
今はなき戦後の時代へ、僅かばかりの想像力を頼りに、赴くような体験でした。

具体的に「美醜について」、「嫉妬について」、「プラトニック・ラブ再考」など普遍的なものを題材とした文章もありますが、自分とは切り離してしまうような、当時の世俗や風潮を見つけるだけでした。

一番、興味深く読んだのが「生と性(その一)」(出典は『生と性』集英社文庫)という彼自身が半生(特に若い頃)を振り返って、文筆家として生計を立てるまでの話をまとめた文章でした。

戦時下の思い、父への思い、小説家となる自分について、赤裸々に語られているような気がします。なかなか吉行を知るにはいい文であるような気がしました。

このエッセイコレクションを読んでいるだけなので、選者が悪いのか、それともそもそも僕が吉行のエッセイが好きでないのか、どちらか分かりません。全集などにも手を伸ばし、もうちょっと彼の作品をしっかり読まなくてはいけないなぁと思った次第です。
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2007年11月19日

『吉行淳之介エッセイ・コレクション4 トーク』荻原魚雷編(ちくま文庫)


吉行淳之介エッセイ・コレクション
著者名:吉行淳之介(著)
     荻原魚雷(編集)
出版社:筑摩書房
出版年:2004.05
ISBN :9784480039347


とても悲しいことです。好きな人といて楽しくないということは…。

意味深なことを言うようですが、本書を購入後、ドキドキワクワク胸を躍らせてページを開いたんです。

しかし、面白くない。よくわからないけど面白くない。

吉行淳之介は「対談の名手」と言われており、雑誌でコーナーをもっていたこともあるらしく、数多くの対談本を残しています。さすが「名手」だけあって、本書も含め彼の対談については、世の評価はとてもよろしいものらしく、ちょっとネットで検索してみたら、褒め言葉ばかりでした。

ただし、文庫本(それも今手に入るもの)しか読みたがらない僕には、ほとんどのものが絶版となってしまっていて、今のところ新しい状態で手に入るものが、本書と講談社文芸文庫の『やわらかい話』のみでした。

そして今回とりあえず本書を手にしたわけですが、
ほんと、面白くなくて、面白くなくて…
ほとんど内容が頭に入らず、一応読み流したのですが、記憶に残るのは、現在ではほとんど<歴史上の人物>となっているようなかたがたの名前だけです。
確かに名前はすごいです。丸谷、野坂、森茉莉な、遠藤周作など個人も含めて、気になる人ばかり。

したがって、もともと対談本が好きな僕にとって興味をそそるものでした。実際に対談本をそんなに読んだわけではないが、外れというものはこれまで皆無に等しく、有名人の名前が連なる今回も面白いのではないのか、と。

それ故に今回のはずれは大きい。
しかも吉行は好きな作家の類であるというのに、面白さがわからない。

こりゃぁたまったもんじゃないです。

猥談ばかりになっているから、つまらないのではないのです。
ぼくは男ですから勿論好きです。
でも深みがないと思ってしまうのはなぜだろう。

テーマも一応考えられた上で、話されているのだろうが、深める気がほとんどないのではない、と疑いたくなる。
あの緊張感のない世間話的感覚が対談のうまさのあらわれととれなくもないのだが、
むしろ緊張感のない、だらだらした内輪話に思えてしまった。
ぼくにはさっぱり理解できませんでした。
だれか面白さを教えていただけたら幸いです。

つぎは、吉行さんのエッセイ挑戦してみようかな。
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2007年11月11日

吉行淳之介『星と月は天の穴』(講談社文芸文庫)


星と月は天の穴
著者名:吉行淳之介(著)
出版社:講談社
出版年:1989.06
ISBN :9784061960497


 最近、少々気楽なほうに流れ流れてましたので、本流?というか純文学系に還ってまいりました。
吉行はやはり第三の新人としてカテゴライズされるのでしょうが、個人的には変態文学というか、反文学というか、性を主題として扱った作家として気にしていました。だから文庫で出ているもの(全集を買うお金はないし、図書館で借りると返しに行くのが面倒なので)は大体読んできました。
その中(文庫本)で、こぼしていた本をこれから余すところなく読もうとして気軽に本書を手にしたのですが…
面白いです。
正直にいいまして、買ったその日に読み干してしまいました。

 主人公の小説家「矢添」は、娼婦や学生と恋愛を避けながら、性交渉を続ける。それは、雌犬と雄犬の関係ごとく、性交渉が中心だ。
その一方で、この小説の中で矢添は小説を書いており、入れ子構造となっているのだが、
その作品の中で矢添は、主人公のA男に、B子を「大切に扱う」ように考えさせている。
すなわち人間的に、精神的なつながりを大切にしようとしているのである。

 この対照が重要な気がします。つまり、吉行のような性を掘り下げている作家こそ、
その裏返しとして「純愛」がテーマとなっているのであり、考え込んでしまうことが多いのです。

 表題『星と月は天の穴』というのは、矢添が書いている小説の題名であり、それを思いついた場面がある。
 学生の女と夜に歩いていると、女が自由に瞬く星を眺めて、
世間に祝福されない自らの矢添との関係を対照的に考えてしまうのだが、
それを見た矢添は、反撥を感じる。
 それは、恋愛という情熱への反撥である。
そして彼はその女学生にむかって皮肉をこめて「あんなものは、空の穴ぼこだよ」というのである。そこから不意に小説の題名が浮かぶのであった。

 けれども、これらの反撥は、恋愛の錯覚にも転落しそうな安易なものに対する嫌悪であり、
本来は、彼こそ本物の恋愛を求めているのでなかろうか。
 解説における川村二郎の喩えを借りれば
「神を信じることが篤過ぎるために、神を軽々しく口にしないどころか、わざと神を侮辱するような口吻を弄する敬神家」
のようである。

 この感覚がとっても良い。勝手にうんうん頷いてしまう。

 恋愛において「好き、好き」言われても、胡散臭くて、心に届くことなんてなかなかない。
というか、自分の求めてる「好き」ってもんはそんなレベルではないのだ、
いや、そもそも完璧な「好き」だなんて、この世に存在しないものかもしれない。
「永遠」だって「永久」だって、定義からして、
有限なこの世に有るものでないから、素敵なんでしょう。
それと同じことです。

 なんだか青臭い話になってきたのでそろそろ終わrりにしたいけど、
そもそもそんな風に「恋愛状態」を避けて、畜生同士の肉体関係ときめこんでいたって、
「他者」との交わりはうまくいかないわけで、
そんな「他者」に対する憎悪や恐怖の裏返しにあるのは、「他者」との純粋な繋がりへの欲求なのだ、と薄々主人公は気づいているのです。
中途半端に精神的に付き合っても、純粋な精神的関係を構築することは極めて困難であることを、身をもって主人公は知っているからでした。

 上記の通り、読みにくい感想を自分の興味に絞って身勝手に書いたわけだけど、
すごく僕も感じていることでして、挫折しがちな純粋なものへの希求は、
恐怖感を誘うことが多いような気がします。
個人的な気分があまりに合致したので、作品にのめり込んでしまいました。
やっぱり好きな作家について書くべきでないのかもしれませんね。

 また今度はじっくり再読したい本です。
posted by より at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 吉行淳之介